「袴田事件」の再審決定の判決の中で証拠を捏造したとみなされたことに対して、静岡県警幹部は「ありえない」と反論したとの記事が載ってました。
捏造したかもしれないのは当時の捜査官であって、いまの静岡県警の捜査官ではありません。したがって、「ありえない」などと断定するなんてもってのほか、おこがましい限りです。コメントするなら、せめて「なかったと信じている」程度でしょう。こんなセンス(警察の取り調べに、誤りはあり得ない)の持ち主が県警幹部とは驚きです。いや、そうでなくては幹部になれない仕組みになっているのかもですね。
冤罪は、いまでも起きています。村木厚子さんという厚生労働省の局長だった人が、逮捕・勾留・起訴されて、でも戦い抜いて裁判で無罪となった「障害者郵便制度悪用事件」では、起訴に深く関与した2人の検事が、その後、証拠隠滅罪の咎で逮捕・起訴され、有罪が確定しました。
大川原化工機事件というのもありました。強引に逮捕・勾留され、無実を主張し続けたがゆえに保釈が認められないなかで、病死者まで出してしまい、とどのつまりは公判取り下げという形で、検察側の不戦敗で終わった事件でした。
冤罪とは異なりますが、「KADOKAWA」の元会長・角川歴彦さんは、東京五輪・パラリンピックのスポンサー選定をめぐる贈賄容疑での逮捕・取り調べの中で非人道的な「人質司法」の被害を受けたとして、2億2000万円の賠償を求めて国を提訴したと報じられています。
先日、400字詰め原稿用紙1500枚の長編小説「人質の法廷」を読み終えました。このようにして冤罪は作られてしまうのかと、背筋が寒くなる思いをいたしました。