私は、職場の同僚と二人で、煮込みとおでんか何かを肴に駅近くの赤ちょうちんで、たぶん熱燗を飲んでいました。あの頃は、冬場は、焼酎のお湯割りとかは、まだそれほど好まれなかった時代でした。イメージとしては、焼酎は肉体労働者が仕事の終わりにあおる酒って感じもありましたし。あっ、夏場のホッピーとか酎ハイ、これは、好んで飲まれていましたっけね。お湯割りがそうでもなかったのではないかという話です。付け加えれば、ビールは、アサヒスーパードライがキリンの牙城を侵食していたころでした。なお、赤ちょうちんというのは、大衆酒場の玄関のところにぶらさがっていたちょうちんでして、縄のれんというのもありましたっけね。ある程度飲んで食べて、2千円はかからなかったのを覚えています。もっとも給料なんて、手取りで12,3万円でしたから、その程度でなければ気安く立ち寄れませんでしたしね。まだ24歳の独身だったころの話、週2,3回は仕事帰りに飲んでいました。その30数年後、駅前再開発でそのあたり一帯は街路とマンションへと変貌しました。その、よく飲んだ連れは、今はどうしているかなぁ。私より3つくらい上だったから、70歳にはなったのかな・・・
どうでもいい話を長々とすみません、本題です。その日、その居酒屋の壁に取り付けらた棚に置かれてあったテレビのニュースで、女性のニュースキャスターがすすり泣きながら(while she gently weeps)、ジョン・レノンが暗殺されたことを報じていました。いまでもそのシーンを鮮明に覚えています。