母の日は、米国の小さな町の教会で始まったのがきっかけだそうです。その後、全米各地に広がり、1914年に、5月の第2日曜日を母の日とすることが連邦議会で決定されたのだとか。
日本でもその26年余り後に、昭和天皇の妃だった香淳皇后の誕生日である3月6日を母の日にしたのだとか・・・こういうところが、いかにも、戦前の日本という感じですね。
終戦後は、やはり米国の影響を受けてのことでしょう、米国と同じく5月の第2日曜日へと変更されました。
写真1は、昭和31年の、ある一家の母の日の1コマ。総勢71人で、バスを借り上げてピクニックへ向かう途中だったとか。このお婆さんに、これだけの子や孫、甥や姪たちが集まっての日帰り旅行だったのでしょうか。皆の、はちきれんばかりの笑顔に心が奪われます。髪型、服装も含め、今の日本とは、まったく異なる光景が繰り広げられていたのですね。
写真2は、ミシンをかける母親にまとわりつきながら、その胸にカーネーションつける娘さん。そのオカッパ髪が郷愁をそそります。私の姉もこんな髪形をしていましたっけ。そして、ミシン。うちには確か本体に「SINGER」という銘板が入ったミシンがありましたっけ。
写真3 そして、わが母・・・昭和27年当時の母、24歳くらいでしたか。2歳くらいだった長姉を抱っこしての写真です。まさに当時の女性の髪形、そして、戦争を挟んで生き抜いてきた人たちの多くがそうなっていた虫歯の前歯・・・今の女性と見比べれば、40歳近くに見えます。母は、この50年後には、すでに重い認知症(まだ「痴呆症」という言い方も残っていましたっけ)に罹っていて、その3年後には、もともと悪かった心臓がダウンして亡くなりました。もう18年前になります。
※写真1、2は毎日新聞の夕刊「蔵出しアーカイブ」から引用しました。