先日、埼玉県三芳町を中心とする地域(他には川越市、所沢市、ふじみ野市)で300年以上にわたって営まれてきたこの農法が、挑戦すること3回、この度「世界農業遺産」に認定されたと報じられました。

“Leaf compost farming method,Musashino,Saitama”というのが、英語表記での登録名だそうです。

私は、生まれてこのかた、ふじみ野市の郊外に住んでいるのですが、近郊には、専業農家が十数軒あります。しかも、親から子へと受け継がれています。この地域は、川や用水路がないため、稲作は全く行われていませんで、野菜や、さつま芋、さと芋などの耕作で生業を立てています。

むしろそれが幸いしたのかもしれません。稲作農家におかれては、米価の低迷が続き、苦しい経営を余儀なくされているところが多いようですし・・・

この地域でもとりわけ、三芳町の上富及び所沢市の中富、下富の「三富新田」といわれる地域がディープエリアです。「新田」といっても、田んぼではありません、畑作地です。面積にして1,400ha、よく例えられる東京ドームだと300個分の面積となっています。

この地域のすごいところは、首都圏30~40kmを環状に走る国道16号よりも内側、25キロ圏内外に位置しておりますのに、今日に至るまで、農業が連綿と営まれ続けてきたことにあります。

話は少しそれますが、「トトロの森」というのがありますよね。押し寄せる開発の波から少しでも自然を残しておこうと、寄付金を集めて、少しずつ、緑を守ろうとしているナショナルトラストです。ターゲットは狭山丘陵、その自然を守っていくためにスポット的に購入し、あるいは寄贈されて、現在、59箇所にまで至っています。で、このうちの12号地と52号地は「下富」地区のすぐ近くにあります。

戦後の高度経済成長時期に大都市圏のいたるところでスプロール現象が発生し、三富地域でもその圧力は半端なかったことでしょうが、代々続いた農家の方々と自治体の努力によって、農村風景、そしてその地域独特の「落ち葉堆肥農法」が守られてきたのでした。

かれこれ50年近く前になるでしょうか、今上天皇陛下がまだ高校生だった頃、自ら希望されて、上富地域を訪問されたことがありました。もし、今後、行幸される機会があれば、その当時とさほど変わらぬ風景にきっと驚かれるのではないでしょうか。

「武蔵野は月の入るべき山もなし 草よりいでて草にこそ入れ」 奈良時代の『万葉集』では、そう詠まれていました。見渡す限り平坦な原野、でも、水路がなかったためか、せいぜい採草地(まぐさ場)として使われるくらいであったといわれています。それが、川越城主となった柳沢吉保の命によって、一大開墾が行われました。

時は元禄7年7月のこと、公共工事とはいえ、幕府は資金を出してくれません。どのように資金を集めたことでしょうか。開墾となると大木を伐採し、伐根までしていかなければなりません。人馬、丸太、梃子(てこ)を駆使して、少しずつ耕地や屋敷のスペースを切り開いていったのでしょう。普請の間に自然災害が生きれば、元の木阿弥になってしまうかもしれず、お殿様が変わってしまえば取りやめ沙汰にもなりかねません。そう考えますと、たいへんなリスクを負って、開拓者たちは、この事業に参加したのでしょう。で、2年間で、1,400haに及ぶ大事業を完成させたのでした。

もともと関東ローム層で覆われた瘦せ地、そこで、ヤマ(雑木林)をある程度残してその落ち葉を肥料として用いることとし、屋敷・耕地・ヤマからなる短冊状の区画にして、開拓者へ分け与えました。その区画面積は5町歩(約5ha)・・・1町歩あれば大百姓とも言われていた時代、このプロジェクトによって、250戸近い5町歩持ちの大百姓が生まれました。この、①ヤマを残してそこから生まれる落ち葉を肥料として使う。②広い農地を与えて、営農能力を高めさせる の2点が画期的でした。それがあったからこそ、この「落ち葉堆肥農法」が今日に至るまで継続したのではないでしょうか。

この農法が三富で生まれたものなのか、もともとその近在で広がっていたものがこの三富でも取り入れられたのかは私にはわかりませんが、私の近所の友だちの家が農家でしたので、遊びに行ったときにこの農法を何度も目にしてまいりました。                                            ①晩秋、落ち葉が堆積したころ、農家の人たちは、熊手や竹箒を手にして、ヤマへ入ります。②落ち葉をかき集め、竹でできた籠にその落ち葉を詰め込んで、背負って自分の家の庭先へと運びます。③庭の片隅に、茣蓙(ござ)や筵(むしろ)で囲まれた堆肥場があって、そこに落ち葉を入れ込みます。                                                   これを何回も何日も繰り返して、堆肥場を一杯にしていくのでした。

小春日和の頃、ヤマを歩くと、ササッ、ササッと落ち葉を踏む音が耳に入り、と同時にかぐわしい香りが鼻腔を満たします。私は、この香りが好きです。いまでも、ちょっと散歩の途中で足を伸ばせば、近在にヤマがあります。今年もまた、秋深くになりましたら、そうしたいと思っています。