80年前の8月15日、日本とアメリカ他連合国とが戦った「太平洋戦争」が終わりました。

終戦間際にソ連が日本に宣戦したことは歴史の教科で若干聞き及んでおりましたが、なぜこの期に及んでソ連が参戦したのか、その理由を深くは知りませんでした。

中公新書の「日ソ戦争」を読んで、その辺のことを知ることができました。

昭和16年、あのハワイ真珠湾奇襲によって太平洋戦争の火蓋が切って落とされました。そして、その2年後には、すでにスターリンが、米英に対し極秘裏に「ドイツを降伏させたあと、日本に対して参戦する」ことを表明していたのでした。

それは米国大統領ルーズベルトの働きかけによってのことでした。なぜ、共産主義国ソ連と手を結んだのか?それは、戦争による米国青年兵の死傷者数が続出して米国内で厭戦気運が高まってきたなかで、少しでも早く日本を叩き潰したい、そのためにはソ連の参戦が不可欠と判断したからでした。

しかし、ソ連はドイツとの死闘で身動きがとれない、実際、第2次世界大戦による全死傷者5千万人のうち、ソ連国民の死傷者が2千万人にも及んだのでした(ちなみにアジアでの戦死者2260万人、うち中国1320万人、日本国民は310万人でそのうち海外での戦没者240万人;このなかで120万柱はなお現地に眠る)。

なんとか、ドイツを片付けたのが昭和20年6月、それから直ちに立て直しをして、8月には日本への攻撃態勢を整えるまでに至りました。

皮肉なことに7月16日に米軍は原爆実験に成功し、直ちに実戦配備に取りかかりました。この悪魔兵器がもう少し早く完成していたならば、ソ連なぞ引き入れずとも、日本を完膚なきまでに叩きのめせたのかもしれません。(Wikipediaによれば、東京湾川崎市横浜市名古屋市京都市大阪市神戸市、広島市、呉市下関市山口市八幡市小倉市福岡市熊本市、長崎市、佐世保市へ投下する計画もあったのだとか・・・空襲ではあえて攻撃対象から外してきた京都市も選定されていた。)

で、8月6日広島、8月9日長崎の上空でこの原子力爆弾を爆発させました。ソ連の参戦はその8月9日、満州へ攻め入り、日本人の開拓民たちへの乱暴・略奪の限りを尽くしました。固有の領土だった千島列島も占拠し、そのまま今日に至るまで占領されたままです。

連合国による日本統治がもう少し遅れたら、まごうことなくソ連に北海道も攻め込まれて、択捉、色丹、国後、歯舞の北方領土と同じ、どんなに訴え、交渉しても絶対に、金輪際、未来永劫返還してくれない領土となっていたことでしょう。