3月22日に神宮第二球場の解体工事が始まり、ついに“神宮外苑再開発”が着手されてしまいました。外苑の杜に息づく約1千本の樹木が切られ、その代わりに、80~190mの高層ビルが建てられていきます。

 もともと、神宮外苑は自然環境を守るための“風致地区”に指定されていて、15mまでの高さの建築物しか建てられませんでした。しかし、先の東京オリンピックの施設整備の関連で、新国立競技場を建て替えるということとなり、競技場の周辺エリアだけでなく、神宮外苑全体の高さ制限まで緩和してしまったのだそうです。

3月28日に還らぬ人となった坂本龍一さんは、病をおして、都知事あてに次のような手紙を書いたと報じられております。

 「目の前の経済的利益のために『先人』が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は、一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定いただくことを謹んでお願いしたく存じます。」

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 『先人』と括弧書きしましたが、そのリーダーとなったのが、本多静六という造園・林学者でした。武蔵国(現埼玉県)の大百姓の生まれ、そうです、かの渋沢栄一とほぼ同世代、似た環境の中で幼年期を過ごした人物です。

 渋沢は、生涯500社以上の会社設立に携わり、加えて「養育院」など、福祉事業にも力を注いでいきました。

 片や、本多静六は、北は北海道の例えば「大沼国定公園」、南は大分県の例えば「由布院温泉」など、数百の公園設計、改良や景勝地・温泉地の風景デザインに関わったのだそうです。ふるさと埼玉でいえば、大宮公園、秩父の羊山公園、奥秩父中津峡、飯能の天覧山などが挙げられます。また、成した財の一部は「本多静六博士奨学金基金」へ拠出され、現在もなお、経済困窮家庭で学んでいる前途ある学生へ奨学金を貸与しているそうです。

 さて、明治神宮の杜についてです。明治神宮が創建された1920年、どんな杜を作っていくか、どんな設計で、どんな植栽計画を立てるか・・・いろんな意見が出たそうです。その主要メンバーだったのが、すでに日比谷公園の設計で名を成していた本多静六でした。

 本多やそのほかの林学者たちが検討を重ねた結果、広葉樹による杜造りを提言したそうです。しかし、「神社奉祀調査会」の会長で、明治政府の内務卿でもあった大隈重信は、伊勢神宮や日光の杉並木のような雄大で荘厳な、針葉樹による景観が望ましいと横ヤリを入れたのだそうです。

 結局、同郷の、かの渋沢栄一からの励ましもあり、議論が重ねられていく中で、大隈案は退かれたそうです。

 そんな経緯で設計され、植栽され、育てられてきた樹々が1,000本単位で伐採されてしまうとは・・・

(以下の写真は雑誌「ひととき 2021 2」から引用しました)

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