それほど知られてはいないかもしれませんが、室町時代に大活躍した武州生まれの武将・歌人です。

とくに、築城の名手で、川越城、岩月(いまの岩槻)城、そして江戸城その他の城を築き上げました。その百数十年後、徳川家康は、豊臣秀吉の命により関東へ移封となったのですが、道灌が作り上げた江戸城を改築して、後の政権奪取の基盤としたのでした。

武州といえば、渋沢栄一は、深谷市をはじめとする熱心な活動によって、NHKの大河ドラマに取り上げられるようになりました。現在、道灌の出身地とされる現在の越生町長さんたちが先頭に立って、大田道灌を主人公とする大河ドラマ化を運動しているようです。もし、大河ドラマに取り上げられれば、その名は全国的に知れ渡りますから、同じ旧入間郡に住む私としては、そうあってほしいと切に望んでおります。

さて、若き日の太田道灌が、いまの越生町あたりで、蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、「若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後になって、山吹には『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じた」と伝えれれています。

蓑はないと無粋に断るのではなく、花は咲くけれど実のない(蓑ない)山吹の花を差し出した というわけです。ま、ダジャレといえばそうとも言えますが・・・

さて、いままでの話とは何の脈絡もないのですが、私も今日思いついた歌をここに書き置きます。

 校庭に 桜花びら 散りぬるを 春の名残は いくとせやまぬ

なんか、chatgpt に作らせたみたいな感じですが、自分で絞り出しました。

↓八重といえば、八重桜・・・近所の小学校の校庭では、まだしっかり咲いています。別の場所に植えれれているソメイヨシノはもう散り出していました。