accountabilityという言葉が「説明責任」という意味で使われていることは、もちろん承知していました。

しかし、「会計」の意味を持つ"account"からの派生語が何でそういう意味になるのかは知る由もありませんでした。

ついでに申し上げれば、インターネットの世界では、このアカウントは「アクセス資格」の意味で使われていますが、それは置いておきまして・・・

定期購読するようになりました岩波書店の「世界」に連載されております「片山善博の『日本を診る』」を読みまして、そういうことなのかと認識を新たにすることができた次第です。

もともとの意味は、会計係が雇い主に対して負っている責任のことだったそうです。会計係は、経理に不正や非違があってはならない、雇い主から説明を求められたら、帳簿や伝票を示して身の潔白を明かさなければならない・・・そこからきているのだそうです。

ですから、国権の最高機関である国会において質問されたら答えなければならない、それが政治家のアカウンタビリティです。捜査を受けているさなかであっても、やましいことがないのなら、堂々と同じ主張をすればいいだけの話です。「控えさせていただく」のはNo!です。

それから「会長マター」というのもひどかったですね。このマターという言葉は「直轄」という意味にも使われ、私も昔「これは知事マター」とかいう言い方をよく耳にしたことがあります。「だから俺は関わっていない」というときに都合よく用いられる常とう句です。「死んだ人がやったこと」死人にクチナシ、誰がこんな逃げ口上を考えたのでしょうね。存命中は「会長、会長」と崇め奉りながら、死んだとなれば己が逃げきるために切って捨てる・・・5奉行だか何だか知りませんが、よくもまぁ、ここまでできるものです。三原じゅん子センセイではありませんが、「恥を知れ」ですよね。

今回のスッタモンダは、議員ではひとりだけ、証拠隠滅を図った愚かな代議士が逮捕され、あとは会計(account)責任者が在宅起訴か略式起訴で幕が閉じられるのだとか・・・まさに東京地検特捜部マター