私は戦後の昭和31年生まれです。戦後教育がようやく定着したころとでもいえるかと思いますが、周囲の大人たちの間では、「個人主義」というものへのぬき去りがたい反発心を抱く人が、まだまだ多かったように記憶しています。教える教員にもいましたし、もちろん、その影響を受けてか、子どもたちにもたくさんいました。身勝手な考え、自己中な考えだということで・・・思い起こす限り、私自身もそうだったような気がします。

さて、夏目漱石は、大正3年の11月に学習院に招かれ、「私の個人主義」と題する講演を行いました。かの日露戦争の10年後、彼自身、神経衰弱とか胃潰瘍に苦しみながら、ようやく実現した講演会のようでした。ちなみに、この10か月余り後、49歳で逝去されてます。

この講演録は高校の国語の教科書にも載っていましたから、おおざっぱには頭の片隅にありましたが、改めて読んでみて、あの時代においてもこのような考え方を抱いていたのかと感服するほかありませんでした。

講演の、お終いの方の一部を切り取って、ここに載せておきたいと思います。

国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥、国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。

いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂いが少なく、そうして他から犯される憂いがなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。

火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。

国家の平穏時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。