安倍さんが凶弾に倒れ、殺害されてからまもなく10ケ月になります。

その後、統一教会による霊感商法や信者への寄付強制、さらには政治家への食い込みの凄まじさが改めて次々と社会問題化し、「法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律」が制定されたところです。

 しかし、教団に対する解散命令は、どうやら、発動されない雲行きです。

 さて、日本国憲法の改正をめぐる動きでは、第9条(戦争の放棄)の扱いが焦点となっていますが、第20条(信教の自由)についても、その改正内容に危惧をしています。と申しますのも、統一教会の本部員たちが、かつて、わがもの顔で足しげく国会議員会館に出入りしていた時代に、以下の内容に沿った改正への働きかけが、繰り返し行われてきたらしいからです。 

平成24年4月に党決定された自民党案によれば、現行の第1項について「政治上の権力を行使してはならない」の部分を削除しています。また、宗教活動について、現行の第3項では、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めているところ、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」と追加しています。

ここで突然、ジョンレノンの話になりますが、彼が無神論者になるまでには、いくつもの葛藤があったようです。彼が戦後の日本で育っていたらどうでしたでしょうか、無宗教、無神論の自由が広く浸透した日本で生まれていたら・・・

仮に自民党案のとおり改正されたとしましたら・・・

正月には役所の玄関に門松が置かれても何の問題もなくなることでしょう。公用車が神社のお祓いを受けて、「○○神社」のステッカーが張られるようになるかもしれません。最高裁違憲判決が出た地鎮祭もおごそかに、かつ当然のこととして復活するでしょう。

靖国神社へは、例大祭とかで国会議員が大挙して参拝するようになるのでしょうか。もちろん、中には、信仰上の理由で参拝しない議員も出てくるかもしれませんが、そういう人は人事で冷遇されるようになっていくかもしれません。

そんなふうに考えますと、影響はやがて国民各層に及び、例えば子供たちの世界では、新たないじめの原因となりやしないか・・・

私は、憲法のおかげで、無宗教であり続けることができました。無宗教であることでいじめを受けたことはもちろんありませんし、無宗教だからこそ、信仰する人を避けることなく対応することもできました。

第20条もまた、守るべき大切な条文だとの思いを新たにしております。